「敵わないと思える誰かがいるから、唯一無二になれる」 看板職人・林さんインタビュー

|まさかの看板屋”からはじまった物語

もともとは、ごく普通の会社員でした。
組織の中では自分の実力を発揮できず、将来を考えるようになって――ふと思ったんです。
「自分が本当に好きなことって、なんだろう?」と。
子どもの頃を思い返してみたら、図画工作だけは得意だったな、と。
そこで、仕事のかたわら通信講座でレタリングやPOPを学びはじめました。
日曜には代々木の専門学校にも通って。
そのとき初めて「看板屋」という仕事の存在を知りました。
その後、知識と技術をひと通り学び、実際に看板屋へ転職。
ただそこは、今でいうブラック気味な職場(笑)。
徹夜で現場をはしごしたり、土砂降りの中で溶接、ブルーシートの下で文字描き…。
なかなかハードな現場の連続でしたが、その経験のおかげで、ちょっとやそっとの過酷さでは動じなくなりました。

|ある看板との出会いが、人生を変えた

そんなある日、結婚式場の仕事で現場に行ったときのこと。
ふと、倉庫の隅に置かれていた別の会社の使い終わった看板が目に留まりました。
…衝撃でした。
描かれている文字のレベルが、まったく違う。
明らかに、自分が見てきたどの看板とも違う。
「これだ!」と、身体に電流が走るような感覚でした。
すぐにその会社を調べ、勢いで「働かせてください!」と直談判。
もちろんそのときは「募集はしてないけど、名前だけ聞いておくよ」とあっさり断られました(笑)。
でも数ヶ月後、奇跡のように一本の電話が来て、「空きが出たんだけど来てみる?」と。
それが、人生の大きな転機でした。

|“敵わない”を知って、進化が始まった

そこにいたのは、広告美術技能士や屋外広告士など、超一流の資格を持つ職人たち。
全国大会に出るような方ばかりで、自分が思っていた「看板屋」とは、まるで別世界。
とくに描きの専門の先輩にはまったく敵わず、早い段階で「この土俵では勝負にならない」と思い知りました。
でも、それが挫折ではなく、自分を広げる原動力になったんです。
昔から、得意だと思っていた分野で、もっとすごい人たちに出会うと、逆に火がつくタイプだったのかもしれません。
「1番にはなれない。でも、同業者から“すごい”と思ってもらえる職人になりたい」
そう思って、ひとつの分野だけでなく、総合的にいろんな技術を学ぶ方向に進んでいきました。

|映画看板、造形、エイジング塗装…原点に還りながら、新しい扉を開く

看板屋としての人生のなかで、自分が強く惹かれたものの一つが「映画看板」でした。
青梅の住江町商店街に飾られていた、大久保昇さん(“最後の映画看板師”)の作品を見たときは、ひたすら感動。
描かれた絵の前に立つと、そこに魂が宿っているように感じたんです。
こっそり先輩の描いた映画看板を引っ張り出しては、何度も見返しました。
時代の流れとともに、文字描き職人の仕事は減り、プリントの技術が主流に。
自分も大手案件を請けるようになり、生活は安定しました。
でも、ふと気づいたんです。
「俺がやりたかったのって、こういうことじゃない」と。
そこから造形、FRP、発泡素材、そしてエイジング塗装の世界へ。
断られてもあきらめず、講習にも食らいつき、異分野の職人さんたちとも交流しながら、知識と技術を独学で深めていきました。
ベルサイユ宮殿の“フェイク大理石”の話を聞いたときなんかは、もう完全にやられましたね(笑)。
「本物じゃないものに、わざと価値をつける」――それは日本にはない、でも美しい文化でした。

製作中の看板に触れる職人の画像

|看板には、人生がにじむ

忘れられない仕事があります。
ある大学ボート部OBの方から、「真っ黒になった古い木の看板を再生できないか」とご相談を受けたこと。
10社以上の看板屋に断られた末のご依頼で、正直、僕も最初は悩みました。
でも、どうしても復活させたいという想いを強く感じ、いろんな専門家に相談しながら取り組みました。
結果、その看板は見事に生まれ変わり、
最後には「復活祝賀会」まで開いてくださって。
本当にやってよかったと思える仕事でした。
あとで聞いた話では、その看板の文字を書いたのは、依頼者にとって特別な“尊敬する人”だったそうです。
だから、どうしても残したかったんだと。
――看板を通して、誰かの人生や想いに関われる。
それは、何ものにも代えがたい仕事です。

|手のぬくもりのある仕事を、これからも

僕は日本酒が好きで、飲んでいるといつも「この酒はどんな土地で、どんな人がつくったんだろう」と想像してしまいます。
看板もそれと同じ。
手仕事のものを見ると、自然と「これ、どんな人がつくったんだろう」と思うんです。
とくに木の看板は“生き物”みたい。
反ったり、ひび割れたり、時には反抗してくる(笑)。
でも、それも全部ふくめて、看板なんだと思います。
こっちの心を映す、相棒みたいなものですね。
まだまだ、やりたいことは山ほどある。
若い世代の技術にも刺激をもらいながら、
これからも、物語のある看板をつくっていきたいと思っています。

 

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